ぐうたらぐちぐち日記。

ぐうたら主婦が 愚痴ったり弱音を吐いたりします。

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2年。

2年前の今日 母が亡くなりました。


眠れなくて パソコンに向かっていた 真夜中の2時前

電話が鳴りました。


覚悟していたような そうではないような・・・。

危ない状態で 間に合わないかもしれない。


高速を2時間走って 病院についたのは 朝4時。


車の中で 一度時計を見たのですが

ちょうどその頃 息を引き取ったみたいです。




今日に合わせて 母のことを書き綴ろうと思っていましたが

無理でした。


今日も これ以上は書けません。

静かに母を想い 祈りながら休みます。

おやすみなさい。


いつかまた 落ち着いたら 続きを書きます。


ありがとうございます。


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休憩。


体調不良のため 続きは後日書きます。

母のこと・・・その?


母の入院している病院と わたしの住んでいるところは

180?離れているので 通うには限界がありました。

実家の荷物をまとめて 退去し 転院させました。


幸い私の家から車で10分の大きな病院が

受け入れてくれることになりました。

定期的にカテーテル検査を行い バルーンパンピング

ステントの挿入といった 手術を受けました。


脚の付け根の血管から カテーテルを挿入し

詰まった血管や 細くなった血管を拡げ

そこがまた詰まらないように ばねのようなものを入れます。


処置後は24時間 動けません。

骨粗鬆症による 背骨の圧迫骨折をしている母には

24時間 仰向けで寝るということは 痛みとの闘いでもありました。


退院後 家で倒れたので 目が離せなくなり

また 認知症と思われる症状もありましたので

悩みましたが 老人保健施設で 看ていただくことにしました。


その後 別の県に夫が転勤となり

母も近くの施設に移すことができました。


施設では 問題児・・・いや問題老人・・・。

他の人との協調性に欠け 自分の思うようにならないと

暴言を吐き 食事に不満 職員さんに文句・・・。

わたしは 面会に行くたび 小さくなって頭を下げ続けました。

職員さんに嫌われ 冷たい態度を取られました。

しかたないですけどね・・・。


何回目かの検査入院の時 事件が起きました。

朝早く 病院から電話がかかり 母が行方不明だとのこと。

警察に捜索願を出すことになりました。

少し前 行方不明の老人が 二人遺体で見つかったという

事故が近くであったと聞いていたので

電話を待ちながら 生きた心地がしませんでした。

電話のベルが鳴るたび ドキドキして・・・。


心配して電話してくれた友人・・・ありがたいけど

こういうときの 電話は心臓に悪い・・・。

※携帯電話が今ほど普及していない時代です。
 もちろん ナンバーディスプレイもありません。


約6時間後 裸足で パジャマ姿の母が

大きな通りのそばのベンチに座っているところを 保護されました。


警察に迎えに行くと ケロッとした顔で

『お茶をごちそうになった。』と 言いました。

パトカーに乗るとき 『わたしは何も悪いことしてない!』と

騒いだそうです。

わたしが 泣いている意味もわからないようでした。


病院はもう手に負えないということで 自宅に連れ帰りました。

母は 二日間 寝続けました。

裸足で歩いた足が 腫れていました。


その後も デイサービスからの帰りに 脳出血で吐いたり

カテーテルのあと 夜中に動きまわって 病室を血の海にしたり

重篤な病人の方とそのご家族に 暴言を吐いたり

・・・それはもう 大暴れの数年間でした。


ある人の紹介で いい老人保健施設(老人病院併設)に

入ることができ そこでは わたしが職員さんに

母のことで叱られることは ありませんでした。

母に問題がなくなったのではなく

その施設が 認知症の人やその家族に 理解があり

老化による問題を持つひとに 尊厳をもって接しておられたからです。


定期的にカンファレンスが行われ 母の問題にどう対処してくださっているか

わたしは何をすればいいか 話し合うことができました。


麻酔をかけるたび 認知症が進むので

心臓はもうお薬だけにしました。



そのころ わたしは喉に何か詰まっているような

水も飲みこみにくい症状が出ていました。

レントゲン 胃カメラ 心電図 血液検査・・・

胃炎と喉の炎症だけで 異常は見つかりませんでした。

寝つきが悪く 3時頃まで 布団の中で ごろごろして

不快な夜を過ごしていました。


今から約12年前のことです。


数年後 本屋さんで立ち読みをした本に 同じ症状を見つけ

それが 自律神経 副交感神経の異常

そして うつの始まりだったとわかりました。





懲りずに まだ 続く・・・。


母のこと・・・その?


結婚後 わたしは夫の両親と同居しました。

実家から 50?離れた町で 暮らすようになりました。


母と伯母は なんでも口出ししたい方。

夫の両親は 嫁は嫁 という古い考えの持ち主で

両家の間で 辛い思いをしました。


夫の家は ごく普通の田舎の家庭です。

ちょっと堅苦しいけど。

わたしの実家が特に変なのです。

そこで育ったので わかりませんでした。



いろいろあったのち 夫が遠くに転勤になり

夫の両親と離れることができ

夫婦と子供ひとりの水入らずで 暮らせるようになりました。



しかし それからも 母の借金を払ったり

滞納していた年金を追納したり

いろいろな手続きに奔走したり・・・。


伯母は亡くなりましたので 母は一人暮らし。

店も立ち退きになり 辞めることになりました。



母は食事の好き嫌いが激しく

嫌いなものは絶対食べようとしない

味付けの濃いものが好き

煙草を吸う 大酒のみだったので

病気にならないはずがありません。


60歳で 圧迫骨折した背骨も すかすかで

数年の間に 合わせて3か所もつぶれました。

骨粗鬆症です。



そして 74歳の誕生日の3日後

倒れていたところを 訪ねてきてくれた友人に発見され

救急車で運ばれました。

心筋梗塞です。

発見があと3時間遅れたら 亡くなっていたと言われましたが

実は倒れて2日経っていました。


しょっちゅう電話をかけ合っていたのですが

たまたま忙しくて電話できなかった 2日間の出来事で

非常に悔やまれました。

母の友人に感謝です。



お医者様の懸命の処置で 一命を取り留めました。

連絡があって いつもは3時間半かかる道のりを

車をぶっとばし 2時間半で病院に到着しました。

よい子は真似しないでね。


親戚の者は 葬式の話を始めました。

まだ 亡くなると決まったわけではないのに。

叔父は自分の家へ泊れと言ってくれましたが

毎晩 母と伯母の悪口を聞かされ

恩着せがましく 晩ごはんの食材を買わせられたり

叔父の孫たちに プレゼントを強いられたり・・・

まったく 母もとんでもない人でしたが

母の姉弟も ろくなもんではありませぬ。

遠い親戚より近くの他人。

親戚には いまだに頼る気もつきあう気もありません。


ありがたいことに 徐々に回復する母。

保険のきかない個室に移され 毎週何万もの部屋代。

それでも どんなに苦労かけてくれてもいい

寝たきりでもいい とにかく死なないでと 泣きながら

毎日祈っていたので 片道180?を往復しながら

仕事をして 病院に行って 仕事をして 病院に行って・・・

を しばらく続けました。


回復してくると 口もよく動くようになるようで

助けてくださったお医者様に ひどいことを言ったり

なにか気に入らないと 文句を言ったり

わたしは謝ってばかりで 参りました。


さすがに心身ともに限界がきそうなので

母を 近くの病院に転院させることにしました。

受け入れてくれる病院探し

市役所の手続き

もと住んでいたところの処分・・・

当時30代半ばの元気盛りだったとはいえ

我ながら よくがんばったと ほめてやりたい。


そのツケが今まわってきているんでしょうけどね。


続く・・・。



どうでもいいような 変な昔話におつきあいくださって

ありがとうございます。

あと5回ぐらい続く予定・・・(苦笑)







母のこと・・・その?


高校を卒業したわたしは 公立短大の進学をあきらめ

就職しました。


会社の研修で トップの成績だったので

部長秘書になる予定でしたが

大学で学ぶことをあきらめきれず

4か月で退社。


高校時代からアルバイトをしていた歯科医院で

働きながら 歯科助手の資格を取らせてもらい

大学の通信教育も 受けるようになりました。



給料はほとんど家計と勉学費用になりました。



大学入学をめざしていた 20歳のとき

母が ちょっとしたことで背骨を圧迫骨折してしまい

激しい痛みで 靴下を履くことさえできなくなりました。


それでも 仕事を休むわけにいかないと

石膏でぐるぐる巻きにしてもらい 入院も拒否して

店に立ち続けました。


痛みに顔をゆがませながら 働き続ける母。


わたしは 大学をあきらめました。


ある会社に正社員として入社し 夜はスナックでバイトしました。

その会社で知り合った人と 1年後結婚して 家を出ました。


わたしは 母から逃げたかったんだと思います。

普通の家庭で 普通の生活がしたかったんだと思います。

普通の生活ってなに?

よくわからないけど… 

贅沢がしたかったんじゃない。



小さいころから 伯母と母とわたしの三人暮らしでした。

伯母も 母の姉だけあって やりたい放題の自由奔放な女性でした。


わたしには兄が二人いますが みんな父親が違います。

伯母も4人の子供がいて 父親が3人です。


伯母も母も お金を手にしたら 使わずにはいられない性格でした。

それが 借りたお金であっても。


やりたい放題 言いたい放題 怖いものなしの ふたりの未亡人。

若い時の 裕福な生活 お嬢さまとしてのプライド わがまま。

歳をとっても 変わらないものですね。


ふたりのいいところは その使うお金はほとんど

子供や孫や親せき 友人に 贈り物をするために使っていました。

人の喜ぶ顔をみて 喜んでいました。

でも 結局は人に迷惑をかけていたのだし

誰かにプレゼントをすることによって プライドを保っていたのでしょうね。



わたしが今 謝りたいことは 大学を最終的にあきらめたとき

悔しくて おんぼろな家のガラス戸を 力任せに閉め

ガラスを割ってしまったことです。


伯母も母も 怒りませんでした。

黙って 割れたガラスを片付けていました。

そして お金もないのに 早くガラスが入れられました。

割れたガラスを見て わたしが心を痛めないようにとの

母の配慮だったと思います。


わたしの気持ちをわかっていただろうし

大学へ行かせられなくて 母も辛かったと思います。


続く。



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Author:もぷかっち
独身じゃないけど 一人暮らし。
2ワンがいるから 淋しくないもーん。

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